島貫満枝 作曲家 ピアニスト

島 貫 満 枝


何より優れているのは作曲の才能で、独学で身につけたとは思えない音楽理論にかなった曲を作ると言われる。

プロである以上、既存のアレンジ譜は一切使わず、全ての曲を自分で編曲し演奏
ジャズは、スタンダードナンバーの主題から展開していくアドリブの部分は即興・作曲だと言われるが、私は後者でアドリブ部分を全て作曲していた。
スリルある即興よりも、用意周到に音を選び、美しく心地良いメロディを作り、音楽理論・培った知識を守りながら作曲する方が得意なので私は作曲家向きであるという結論に至った。私の演奏が人から評価されたのは、この独自の作曲部分があり、巧いからである。勿論作ったものを人前で演奏するには相当な練習量を積み重ねてきたから。
「感覚のいい人」「独創的」「やっぱ他の人とは全然違うわ」「うっとり聴き入っちゃた」…などと評価の言葉をいただいた。
そして、チームで何かするよりも一人で何でもする方が好きであり性に合っているので、ソロでの活動は長く続いた。チーマーや宗教団体のような人達が勝手に関わってきてその人達の利益のために共同作業や進路の方向などを無理強いされるのは御免だ。物事が壊れる。私の心のストレスになる。

子供の頃よりピアノが好きで音楽クラブで連合音楽会に出演したり、学生時代は器楽部に入り音楽に親しむ。
高校では音楽の授業がなかったが、音楽の成績はよく、中学では音楽の成績は5段階評価で常に5だった。
ついでに言うと、他の教科も成績優秀で高校も進学率97%の進学校に進んだ。短大(文系)でも就職に影響すると聞いていた1学年の成績で学年2番(偏差値65)の成績を納め、学校推薦と試験で日立系列の一部上場一流企業(丸の内、海外部所属)に入社した。当時は、丸の内にある本社は女性は縁故又は各学校から1、2番の人達しか入れなかった。男性は国立大学(東大、京大、九州大他)や有名私立大学(社風があるから慶應、上智、学習院)からわずかな人数しか採用されなかった。

社会人になり諸岡鵬氏に再びピアノ(スタンダード)を学び傾注する。発表会での演奏を芸能人の方から「安定している。将来有望。」とお誉めに預かる。
諸岡氏が演奏していた六本木のクラブで1ステージを演奏させてもらったことをきっかけに音楽の道に進む。諸岡鵬氏、寺下誠氏、明田川荘之氏、ヒロ高田氏、はじひろし氏、板谷博氏、加藤順子氏に師事。(作曲は独学、人に習いたくなかった)
迷わず惜しまず安定した企業を辞め、茨の職業である音楽の道に飛び込んだ。
長かったエリート勤めを終えた第一歩は、郡山ワシントンホテルのステーキラウンジでの出張演奏。アメリカからもピアニストを招いていたリッチなホテルである。ここでは自作曲も弾いた。普段は自分のオリジナル曲は人前では弾かなかったが、珍しく弾いていると、ピアノの横を見ず知らずのお客さんが初めて耳にした私の曲を真似て口笛で吹いていったという反響がすぐにあった。その曲は丸の内勤務時代、皇居のお堀が目の前だったので、仕事中に浮かんで私が作曲した長閑なクラシカルな曲だ
規律のあるエリート勤めがものを言って、この後も塾講師、インストラクター、秘書、イラスト製作、整体指導…など沢山の責任ある仕事に携わりながら音楽の勉強をした。スーパーウーマンのようになんでもこなす方だが、人に頼らず自分で考える独創性が生かせる音楽が一番向いているな〜!(一方的にクールに発することができる環境が好き)

(なんかこうやって自分のプロフィールを書いていると、物書きにも向いているんじゃないかと思ったりもした。確かに中学の弁論大会で各クラスから代表を1人選出するための候補者3名の中に担任の先生から私の作文が選ばれたことがある。最終的には東大進学校と言われていたその地域で1番の高校に入った彼女が代表になったのだが。あと、私の作文を読んだ高校の同級生にも「小説を読んでいるみたい」と言われたり、プロのブロガーみたいに人を惹きつける文才があるとも言われる。

芸能プロダクション「竜プロ」や「ジャパン・ユニオン」他数々の音楽事務所からの仕事も経て、プロのピアニストとして20年間以上にわたり、ジャズとクラシックを中心に様々なジャンルの音楽(と言ってもロックやクラブミュージック?や流行りもの等かき立てる様なうるさい音楽は私が嫌いなので弾かない)をホテル、高齢者施設、レストラン、ジャズバー、イベント‥‥等々で、自身で作編曲し演奏修得が早いことと、作曲が楽にでき次々とメロディが浮かぶという強みがあった。
数多の仕事を重ね研鑽を積み、自分の音楽を築く。独自のアレンジで一曲一曲練り込んだ演奏やオリジナル曲が評価を得ている

一番好きなジャンルはクラシックしたい事は自分の作りたい曲を作る事。
現在はソロのピアノ楽曲を作曲することに注力している。
(作曲は30年以上前から継続。いえ子供の頃からその傾向があった。)

私がやってきた事と同じ事をできる人はまずいないというくらいに、命がけで音楽に人生を賭けてきた実績と誇りがある。